TradTrad Roots 伊勢志摩

三重県、伊勢志摩。
TradTrad創業のルーツには伊勢志摩と深いつながりがある。

その存在がなければ「UDEMACI」の誕生はなかったと言っても過言ではない。

伊勢志摩で育った創業者の父の死という悲しい出来事がきっかけでこのストーリーは幕を開けることになる。

時計が好きであった偉大な父を失ったその年に懐中時計との縁がうまれた。

最初の出逢いは100年以上前の明治時代の商館時計。
その懐中時計はイメージする普通の懐中時計よりシンプルな銀無垢のあっさりとしたものだった。

玉ねぎ型のリュウズを押し裏蓋を開けるとガラス越しに質実剛健とも言うべきムーブメントがそこにはあった。

初めて手に取った商館時計という懐中時計は衝撃を与えるものであった。

この商館時計との出逢いが今後のストーリーを紡ぐことになる。
その商館時計というものは日本の時計文化にとって欠かすことのできないものであった。
少し商館時計について説明を。

幕末から文明開化にかけて世の中が一気に変わろうとしていく中、時代の申し子ともいうべき坂本龍馬や西郷隆盛などが活躍した時代にこの商館時計という存在が日本にやって来た。

それまでは日本では和時計というものが主流で夏至と冬至で一刻の差が違う日の出日の入りを基準としたものであった。当然、十二支で時刻を呼んでいた。

もちろん商館時計の表示は、ローマ数字で現在と同じ1時2時というもの、当時の日本には存在しないものであった。
そういった商館時計は、当時、各国の外国商館から日本人に販売された。

外国商館というのは神戸や横浜にあった言わば商社。

海外の品物を日本へ輸入し日本人に販売していたのである。
坂本龍馬が、亀山社中という日本初の会社を創設し、西洋銃を販売していたがその西洋銃を坂本龍馬に仲介していたのが外国商館とも言える。各藩が外国商館との取引をしており西郷隆盛も同様であった。

この外国商館が日本における文明開化を助けたくさんの技術や産業の発展に貢献した背景がある。
その中にこの商館時計はあった。

この商館時計の存在が現在の日本における携帯する時計として最初の存在となった。
時計は、その商館時計から戦争を経て小型になり、より携帯性の優れた現在の腕時計へと進化を遂げた。
それらのことを知り、懐中時計の世界をより深く知ることになった。

機械式時計の内部であるムーブメントにも興味を持ち、分解掃除も知ることになった。
やがて時計の進化にあるように装飾豊かな懐中時計を腕時計のように使えないものかと思うようになった。

その頃「UDEMACI」のアタッチメント構想が頭をよぎった。

試行錯誤を続け、現在のアタッチメントになるまで様々な構想や試作があったが様々な要因が重なり現在のアタッチメントで落ち着くことになる。

懐中時計が様々な方々との出逢いを紡ぎ、そして懐中時計が中心となって様々な方々の協力のもとTradTradは産声をあげることになる。

現在アンバサダーであるシンガーソングライターの翔大との縁もまた伊勢志摩である。
彼との出逢いは以前からとなるが伊勢志摩が縁で親しくなったのであった。

TradTradは大阪ではあるが伊勢志摩のDNAが根源に存在し起点として始まっている。

伊勢志摩経済新聞の編集長との出逢いにも恵まれ、伊勢志摩とのつながりを感じざるを得ない。

text.KJ